「開かれた党員選挙は必ずしも一般有権者が求める党首を生むとは限らない」: 政治学者ヒジノ・ケン京都大学教授インタビュー

特に驚きはなかった安倍首相辞任

安倍晋三首相の辞任表明(2020年8月28日)を聞いて、「特に驚きはなかった。首相の支持率が下がり続けていたので、病気でなくても、いずれ総理・総裁を代えなければという話が党内で出てくるのは予想しうることだったし、近く何かがあるとは思っていた」とヒジノ教授は言う。

ただ同教授が理解できないのは、安倍内閣の支持率が低下した要因が新型コロナウイルス感染症対策に問題があったからだという点だ。日本の感染者、死者数、死亡率は欧米主要国などと比べても極めて低いのに、安倍政権が「コロナ対策」に失敗したというのは、正当な評価ではないと感じている。

憲政史上最長の7年8カ月の長期政権の後継者を決めることになる、今回の自民党総裁選では、党所属の国会議員の3分の1を超える145人が「開かれた総裁公選」を要望、全国一斉の党員投票実施を求める署名を党執行部に提出した。だが、執行部は9月1日にこれを押し切って、国会議員と各都道府県連の代表者による投票で選出することを決めた。

自民党の総裁公選規程などで原則、国会議員票と、同数の全国の党員・党友票で争うと定められているが、今回のように総裁が任期途中で退任する緊急時には、例外的に両院議員総会で後任を選ぶことができる。

かくして所属国会議員数の394票と、各都道府県連に3票ずつ割り当てられた141票の合計535票で総裁選が行われることになった。しかし、党員投票を行わないのは、党員に人気がある石破茂・元幹事長を党幹部らが警戒したためだと言われている。

ヒジノ教授は「執行部に党員投票を行うか省略するか、判断する裁量があることが問題で、混乱の原因になっている」と、党規定のあいまいさを指摘する。

党員投票でサプライズ候補を選んでしまう可能性

多くの国内メディアは党員投票が行われないことを批判しているが、同教授はそれには同調しない。「党員投票が行われたら、世論が反映され、優れた党首が選ばれるとは限らない」と強調する。

前回(2018年)の自民党総裁選では、党員約100万人のうち党員投票を行ったのは約65万人で、全国約1億人の一般有権者と比べると、あまりにもわずかな数だ。「自民党は地方の農村部に強く、多くの党員がいるので、都市部を含めた国民全体が望んでいる人ではなく、農村部が求めている総裁が誕生する可能性もある」とヒジノ教授。

党員投票については海外の事例を引き合いに出してこう語る。

「英国労働党は幅広い党員投票を行った2015年に、党内最左派のジェレミー・コービン氏を党首に選んだ。コービン氏は翌年の党首選でも60%を超える得票で再選されたが、2019年の総選挙でジョンソン首相が率いる保守党と闘い、歴史的な大敗を喫した。民主的な党員投票は極端な考えを持った人、つまりサプライズの党首を選んでしまうこともある。党員は一般有権者よりもイデオロギーの強い、ラジカルな人が多いので、その中で選ばれた人が平均的な国民に支持される人とは限らないからだ」

一方、2005年から政権の座にあるドイツのメルケル首相は、安定して支持率が高いが、党員投票の党首選挙で選ばれたのではなく、党(CDU=ドイツキリスト教民主同盟)の委員会で推薦されて党首になった。

 

メルケル氏のケースを見ると、『密室政治』ではないが、党内の一部の人で決めた党首が悪い首相になるとは限らないし、逆に、民主的な党員投票が優秀な指導者を選ぶとは限らない」とヒジノ教授は述べる。

党内イデオロギーの違いがなくなった自民党

官房長官が立候補表明して、政権構想を明らかにする前に、党内の7派閥のうち5派閥が支持を決め、大勢が決してしまった。党総裁選とはいえ、政策論議抜き、国民不在の派閥談合とも言われた。

過去には左と右の立場が全く違う候補者により、激しい論戦が展開されたこともあった。しかし、今回、安倍首相辞意表明からわずか2、3日で大半の派閥がまとまったのは、「党内イデオロギーの違いがなくなったからではないだろうか。立候補した3人の政策も大きく異なる点はあまり見出せない」

菅長官が路線継承を明らかにした安倍政権には、森友学園加計学園、「桜を見る会」といった、国民に不信感を募らせた問題があった。この点については、「安倍政治の政策過程の問題であって、もっと大事なのは政策の中身だ。8月28日の安倍首相の辞任表明の際、海外メディアは“モリカケ、サクラ”のことには触れず、安倍氏のやった政策のこと、アベノミクスの成果、長期政権の政治的安定、また、対中国の態度などを評価していた。“小さな汚職”が全く問題がないなどとは言わないが、日本の国民はもっと政策の実績で政治を評価すべきではないか」と同教授。

女性候補がいないのは問題

「総裁選候補者の政策的な違いが明確でないのと同じくらい問題だと思うのが、今回の立候補者に女性候補がいないことだ」とヒジノ教授は指摘する。これまでの総裁選で、女性候補は2008年の小池百合子氏(現東京都知事)だけで、「今回、せめて一人ぐらいは出てほしかったと思っている」。

野田聖子・元総務相稲田朋美・幹事長代行が出馬に意欲を見せていたが、いずれも出馬を見送った。野田氏は党員投票が行われないことを理由に挙げたが、出馬に必要な推薦人20人を集めることが難しかったようだ。また、稲田氏は所属派閥が菅氏支持を決定したので、立候補を断念した。

菅氏については、同教授はこう見る。

「これまでの多くの総理・総裁候補とは違って、政治エリートではない家庭に育ち、自分の努力でここまで来た人。他の立候補者2名とは大きく異なり、安倍首相とも全くタイプが違う」

新首相は力強いコロナ対策を

コロナ禍の中で主要先進国の首脳が退陣するのは初めてのことだ。新首相には「全国的な課題について、はっきりとした指導力が必要」と教授は指摘する。

「安倍政権は『安倍一強』と言われ、強権的とか、独裁とか批判されたが、コロナ問題に関しては、個人の権利を制限する対策について極めて慎重で、抑制的な対応だった。戦前・戦中期のことなどを気にしていたのかもしれない。また自粛ではなく、法をもって私権の制限をすると、批判され、休業補償などの責任を取らなければならないので、あのような曖昧な対応を取ったのだろう」

「しかし、パンデミック(世界的な流行)となったこのコロナ禍は、地方分権で解決すべき問題ではない。現場の知事に任せるのではなく、首相が力強い対策を取っていかなければならない。分権国家の米国は各州がバラバラな対応をしたことで、感染拡大を悪化させたと思われる。日本の新しい首相は今後の全国的な危機に対して、対応が遅れてはならない」